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 日本記録への道



写真1
 古崎は日本航空協会が認定するコントロールラインの日本記録を持っていて、2002年現在まだこれを保持しています。これはFAI(国際航空連盟)のカテゴリー F2A 27に属するもので、写真1はその認定証と航空協会で行われた認証式のスナップです。
 このカテゴリーは一番小さいエンジンクラスで、その上限は1cc未満の排気量です。

 模型航空スポーツには様々なカテゴリーがありますが、古崎が一番熱心にやったのがこのスピード機というものでした。特に1/2Aというクラスは小さいので独特の技術が必要で、その分面白いのです。始めたころはCox TD051というスポーツタイプのエンジンをモノラインコントロールというやり方で飛ばしました。写真2は機体とモノラインコントロ−ルのハンドルです。ラインは一本で、これをねじってコントロールします。1970年代から80年代の始めにかけてこのエンジンを使いました。最初は160km/hのスピードでしたが、エンジンの使い方や燃料、プロペラの研究により180km/まで記録がのびました。その頃のエンジンとプロペラを写真3,4に示します。

写真2

写真3

写真4

写真5

 1980年代の初めでは1ccクラスのスピード専用エンジンが市場になく、Coxエンジンを改造してチューンドパイプを付けていました。(写真5)これは掃気通路と排気孔が設けられていない「ブランクシリンダー」をアメリカのモデラーから入手し、後加工して作ったものです。チューンドパイプなどをいろいろ試しましたが、エンジンが安定して回らずなかなか公式計時できません。速度も190km/h程度しか出なかったのでエンジンを自分で作る事にしました。

写真6
 その頃、中国のCSというメーカーから小型のスピードエンジンが売り出されました。これは2.5ccのFAIスピードエンジンをそのまま小さくしたような形をしていて立派なチューンドパイプが付属していましたが、実際にはまともな記録が出ませんでした。
 エンジンは出来ましたが、必要なパワーがなかなか出ません。これは自作した鉄ピストンと鉄シリンダーのせいであると分かりましたから、1ccエンジンにしては大きすぎるCSのピストンスリーヴを自作エンジンに合わせて削り直して、いわゆるABCエンジンを完成させました。
 このハイブリッドエンジンで競技に臨み、燃料技術やチューンドパイプの合わせ方などを研究しました。写真6は1989年のモデルスポーツ誌とその頃の写真です。ここでやっと200km/hの速度に達しました。その後、燃焼室やグロープラグの研究で最高230km/hぐらいまで向上しました。ラインは0.35mm、長さ11.37m、14周計時でした。
 その頃久しぶりに日本公式記録飛行の企画が持ち上がり古崎も参加しました。FAIの公式記録飛行ではハンドルをパイロンに乗せねばならず、計時中はラインに触れてはならない、という規定があるのでそれまで使っていたねじり棒のハンドルは使えません。そこでこの飛行のためだけにギヤハンドルを作りました。

写真7

写真8
(写真7)これはハンドルの上下動をラック、ピニオン、増速した傘歯車を介して伝え、ラインをねじるもので、ビル-ウィシニスキー氏が1960年代に設計した図面から小さくアレンジしました。
 写真8 が記録保持機です。このエンジンは自作でなくCS 049を1ccまでボアアップしたもので、こうするとエンジンの出力/重量比を大きくできます。自作エンジンによるそれまでのパワーデータと比較して、より大きなパワーが出ることが分かったためこれを使いました。公式計時では、11mのラインではパイロンのまわりを人間が回る事ができず、角速度を小さくするために15mのラインで飛ばしました。このためラインによる抗力が大きくなって速度は低下しました。

 今ではもっと良いエンジンがあるので、世界記録更新も夢ではありません。若い人の挑戦を期待します。記録は破られるためにあるのですから。


スピード機の離陸に使うダリ−(台車)。
ピアノ線をハンダ付けして作る。

自作エンジンを用いた
1/2Aスピード機。
競技会計時最速を記録した。

プロフィールプロトスピード機。
スピード機の一種。
これでエンジンのテストを行った。

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模航研  長野県小諸市大字諸308-1