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スピード機 「大場メモリアル号」の製作   2005年11月

1 ENYA15D搭載の大場スピード機。(写真提供は三原一宏氏)
 
ここ何年もC/Lスピード機を飛ばしていませんが尾島の会場ではUコン機も飛ばせるため、久しぶりに作り始めました。本来スピード機は競技専用機であって、飛ばして楽しむ性格ではないのですが、今では競技会も開かれない状況なので飛ばして楽しむ目的で作ることにしました。今回の主題は「ディーゼルスピード機」です。ディーゼルエンジンはトルク型のため高速高馬力を求められるスピード競技には適しません。
 しかし、かつてディーゼルでスピード機を飛ばしたモデラーがいました。それが今年4月に亡くなった大場雅夫氏であります。大場氏は旧HGKエンジンの技術者でありましたが若い頃に三原氏などと共にUコンスピード競技をやっていて、1960年頃ENYA15ディーゼルを用いています。当時は2ライン方式で飛ばし、公式計時の記録は残っていませんが、速度は120〜130キロぐらいと推定されます。(写真1)

 「大場メモリアル号」は1950年代のFAIスピード機をモデルにしています。当時は翼面荷重制限がなかったため200g/dm2ぐらいが普通でした。エンジンは大場氏ゆかりのHGK15Sボアアップ型ディーゼルとして旧テートン製A級メタルパンを薄く削ったフルパンを使います。フルパン形式は機体を作り易い反面、飛行時に舗装面に叩き付けると尾部が反り上がる欠点もあります。また、特定モデルの再現機でなくあくまでも旧FAIスピード規定での再現機です。古崎はモノラインコントロールを大場氏から習ったのでこれを採用しました。モノライン方式は1957年にはアメリカの競技会に現れていて、その後しばらくFAI級でも使われました。当時も今も小型高翼面荷重スピード機の飛行は難しく、成功の可否は操縦の技量もさることながら機体の設計と工作精度とのバランスによるところが大きく、気を使います。基本的な考え方として、パワーアップによる離昇時の推力向上が必要です。
 しかし、機体そのものは小さいので製作はさして手間がかかりません。
2 HGK15S改造ディーゼル。マフラー取り付け部を削り取ってある。 3 主翼のモノラインユニット取り付け部。
4 尾翼のヒンジを軽く動かすために細いパイプを埋め込んだ。 5 ここまで製作した。

機体が生地完成しました。

 燃料タンクを0.2mm真鍮板から作りました。容量は29ccと多めになっています。本来スピード機のタンクは必要最小限の容量に設定して飛行時間を短くします。こうしないと練習に時間がかかったり、長引く飛行に耐えられず操縦が困難になることがあるからです。
 しかし本機の場合は暖機運転に時間がかかるのとシャフトの隙間が大きくなっていて燃費が極端に悪いため、大きいタンクにしました。
1 燃料タンク
2 タンクの設置状態 3 仮組された「大場メモリアル」号

 完成した「大場メモリアル」号とモノラインハンドル。(写真4)今ではモノラインで飛ばす機会もなくなりました。操縦策は0.45mmのソリッドワイヤーが一本きりですから巻取りリールは要りません。ダリーはネズミ捕り式のロック機構があって、ダリーを抱えてエアボーンしないと外れない仕組みです。フィールドで練習すると、よくダリーを見失います。発見し易いように白く塗装しました。これは昔、スピードモデラー荒木(兄)氏がやっていました。
4 モノライン方式の「大場メモリアル」号と操縦ハンドル 5 大場式のダリー


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